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新月に願いをこめて

新月に願いを・・・

多くの皆さんがすでに読まれていると思いますが
「アミ 小さな宇宙人」をいただいて
3巻一気に読みました。

読んでいる間、なんだか幽体離脱して
私も一緒に宇宙旅行にでかけたような気がしました。

そして、何度も夢でみた光景を想い出しました。

それで、さっき、ソールシスター・ララちゃんと電話で
感想や想いを一緒に分かち合っていたときです。

地球が今、危ない状態であること。
そのために、愛で行動し
私たちが今できることを始めなくてはならないこと。

そんなことを話しながら、私はぼんやり、窓の外を見ていました。
すると、窓の外にものすごく明るい光が!

「え??なにあれ?ララ、ちょっと待って!」

私は思わず叫んで、ケニーも呼んで外に出ました。
その光はいったん、斜め上に動きましたが、そこで止まりました。
すると、くの字を描くように急降下して岩山に一旦隠れましたが
光はちらちら見えています。
しばらくすると、上昇し、今度は、岩の反対側から出てきて、
す〜っと西の空に消えていきました。

私たちの会話を聞いていた
宇宙人のお友達からのサイン???

実況中継で聴いていたララちゃんも興奮!
実はこういう感じのこと、以前に何度かありましたが・・・
なかったことにしようとやりすごしていたんですね、私。

これからは宇宙のお友達のサインを
受け入れていこうかな!笑

ありがとう❤
月が満ちていくように
愛の光で世界を満たしていきましょう☆
新月に祈りを込めて・・・
 
 

水鏡

なにが真実で

なにが虚か・・・

なにを信じればいいのだろう

誰を信じればいいのだろう

ねえ・・・寂しいよ

お願い 私をひとりにしないで

怖いよ


そう心の中で叫んだら

水鏡がこたえてくれた


私におまえの心を映してごらん

目にみえる

すべては真実

すべては虚

だから心の目をひらいてみてごらん

ただひとつ

心の奥にある



だけがおまえを導いてくれるから


それがみえるかい?


すべてを愛にゆだねなさい

怖いかい?


みんな目の前にある山が真実で

水の中に映っている山は虚だというだろう



山を求めて水に飛びこんでみてごらん

そこには水に浮いている

おまえがいるだけ

怖れでもがけば

おぼれてしまう

身をまかせて

愛の流れに身をまかせていれば

つくべき岸辺にたどりつく


そしておまえは気づくだろう


わたしは山

わたしは水

わたしはすべての命

すべての命はわたし

わたしは愛


もうひとりじゃない

もう怖くない

わたし自身が

愛 

そのものだから・・・

ありがとう・・・

ハッキングされたことから学んだこと

ハッキング事件について

 

 

 

今回のハッキングで色々なことを色々な面から学ばせてもらいました。

 

精神的な部分でも色々ありましたが、具体的な部分では、HotmailGmailのセキュリティの違い、プロテクションの仕方、ハッカーの手口など。

 

お役に立てれば、と想いシェアすることにしました。

 

無料のメールというのは、どれでもハッキングされやすい対象ではありますが、HotmailGmailに関して言えば、Gmailの方がセキュリティが高いということがわかりました。

 

サイバー犯罪に詳しい友達が色々教えてくれました。

 

私をハッキングした人たちは、パスワードを盗んで入り込み、パスワードや秘密の質問などを書き換え、パスワードを数回続けて変えることで、リセットする際に記入する過去に使った4つのパスワードにも記入することを可能にし、逆に私が入り込めないようにしたようです。

 

そして、パスワードのリセットリンクの送り先を私のメールではなく、自分たちのメルアドに変更する。

 

完全に乗っ取りをして、私のコンタクトリストに一斉に、私がアフリカで困っているのでお金を送って欲しい、これは緊急を要することだ、というようなことで。

 

それで餌に食いついてくる魚を狙うように待っているわけです。

 

 

 

自分で試してみた結果、Hotmailの場合、パスワードは16文字まで。Gmailの場合は何文字でも大丈夫なようで、長い文章のようなパスワードにして、さらに2段階のセキュリティを入れることができます。自分のパソコン以外のパソコンからログインしようとすると、パスワードの他に6桁の数字を入れないと入れないようになります。

 

それは、パソコン以外の端末(スマホなど)でテキストとして受け取ることができるので、その数字をハッキングされる心配はありませんし、すぐに書き留めておいて、消せばいいわけです。それでも、完全ではないかもしれませんが、しないよりもいいと思います。

 

なので、長年、Hotmailに慣れ親しんでいましたが、今回のことがあって、Gmailに変えました。

 

 

 

セキュリティというのは、つまり、不信感が世の中に蔓延しているから必要になっているわけですよね。信じられないという怖れがベースの世の中なわけです。

 

まだまだ、その段階から抜け出せない人類ですが、それでも、愛をベースに活動をしている仲間達はたくさんいます。今はまだ自分の身を守ることも必要ですが、愛でつながっていく人たちが増えれば増えるほど、闇の勢力も小さくなっていくでしょう。

 

 

 

それから、Facebookについても学びました。

 

昨日、ハッカーについて、私は彼らに手紙を書き、その内容をFacebookでアップしようとしたら、警告が来たのです。

 

「この機能の利用度が許容レベルを超えています。節度をもってご利用ください。この状況が続いた場合、利用停止となることがありますので、ご注意ください。」

 

それで、承諾とキャンセルという所を選ぶようになっていたので、キャンセルを押すと、パッとコメントが消えてしまいました。

 

 

 

私は書いたものが長すぎたのかな?と思って、短く書き直したのですが、それでもハッカーについて書き始めると、警告が出てきて同じことが起こりました。

 

それで、今度は、Facebookには言論の自由はないのか?と一行だけ書くと、

 

今度は警告の後、なにもしていないのに急にそのコメントが消えました。

 

Facebookは、言論の自由を認めていない?

 

そしてハッカーの見方?

闇の勢力側なのでしょうか?

 

私の友達も、世界で起きている問題について書こうとしたら、同じ事が起こったそうです。

 

ということは、私たちのような一般ピープルに至るまで監視されているということです。

 

何を基準に、この警告が出されるのでしょうか?

 

監視するだけではなく、脅すことで黙らせるつもりなのでしょうか?

 

 

 

今、闇と光の戦いが私たちの見えない所で起こっています。

 

それは私たちの目の前で起こっているのですが、私たちには見えにくい状態にあるということなのです。

すでに良心をもとに生きている人たちよりも、闇の勢力に洗脳されている人たちを目覚めさせ、その人たちが愛のエネルギーで生き始めることが、地球全体の向上になる。

 

そのためには、良心で生きている人たちが、何が起きているかを知り、

 

ばらばらではなくて、みんなで手を取り合っていく事が大切。

 

みんなでつながって行きましょう!

 

 

愛の在るところ

この雲をみて
あなたは何を想うだろう。

美しい
醜い
暗い
明るい
天使のよう
悪魔のよう

何を観るかは、すべては私たちの心模様。

この三週間、私はハッカーたちとのバトルで
自分を含め、人間の心模様を観てきました。

3週間ぶりに戻ってきたメールを開けると
ハッカーと何人かのやり取りが残っていたのですが、
なんと、一人の知り合いの方が、私だと信じてハッカーに
請求されたお金を送ってしまっていたのです!
本当に申し訳なくて、その方にすぐ連絡をすると
とにかく私が無事でよかったとおっしゃってくださって。

そんな善良な美しい心を持った人を騙してお金を得て、彼らは幸せなんでしょうか。
彼らもまた、お金がすべてだと思い込んでいる、ある意味、犠牲者たちなのだと想います。

小賢しくなっても、心は貧しく

お金が手に入っても、心の平安は手に入らない

技術を身につけることはできても、尊厳を身につけることはできない

人の弱みにつけこむことはできても、自分の本当の強さを知らない

欲望を満たすことはできても、怖れを手放すことはできない

他人のせいにすることはできても、自分に自信を持つことはできない

外側にあるものは見えても、内側にあるものは見えない


愛がない、ということはそういうことなのだと思います。


愛は足ることを知ることで豊かになれること

いつも微笑んでいること

悲しみも、悔しさも、苦しさも、すべて感じながらも
そこから感謝を見いだせること

すべての内に美しさを見いだせること

自分の命を尊ぶことで、自分の命への感謝とし、
自分の賜物を活かすことで、周りの命への奉仕とすること

愛はすべてにおいて調和している状態

私たちは、この世界に愛を学びにきているのです。
たとえ犯罪に手を染めるような人間達も。

そういった役目をする人たちを私たちが創造しているのは
私たちが怖れを経験する事で、愛を知るためです。

でも、本当は、そんな必要はない。

愛を創造することで、さらに大きな愛を学んでいかれることに
私たちが気づいていけばいいだけ。

世界は自分の心が創り出しているもの。

皆が目を覚まし、
自分ができることを通して、
お互いへの愛でつながっていかれる世界を
創る担い手となっていきましょう。

手を取り合って・・・ありがとうございます。

ハッキングされました!!

私が使っていた sedonana@hotmail.com がハッキングされました。

以前、私とやりとりをしていた方で、以下のような文のメールが来たら、

私ではありませんので、絶対に返信しないでください。

ハッキングするような頭脳があるなら、人の役に立つことをすればいいのに!

ご迷惑をおかけしますが、52mohappy@gmail.com の方へご連絡ください。

よろしくお願いします。

ナナ

砂漠の花

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アメンボが描いたモネの絵

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夏の虫が魅せてくれた世界

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夏至の月の出

夏至の十三夜の月の出 SUMMER SOLSTICE MOON

 

キャセドラルロックの仏様の手の陰から昇ってきた夏至の月


月の女神様


それはそれはあなた様への純粋な驚き

それはそれはあなた様への純粋な憧憬


あなたの神秘に触れるとき私の心は静けさに震えます


明日の十四夜の待宵月

明後日の十五夜の満月
少しずつ姿を変えるあなた様を

お待ち申し上げております。
合掌

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母の日に寄せて

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娘の誕生日に寄せて

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弥生の満月

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暦の岩絵~春分の日

春分の日、セドナの南に位置するV-Vと呼ばれる暦の岩絵の特別な位置に光と影ができます。

二つの突起している岩は、自然のものではなく、ここら辺に住んでいたシナワ族(ホピの人達は、その人達をモティ・シーノン、最初の人と呼んでいます)が、暦を創るために、岩の割れ目にはめ込んだものなのです。春分の日、その影が太陽のシンボルである二重の円にかかります。

その時が、トウモロコシの植え付けの時期。4月21日、5月21日にも、別の所に光と影が射し、その時にはそれぞれ、スコワッシュというカボチャの一種のようなもの、それからコットンの植え付けになるということです。

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セドナのワイルド・ライフ

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陰暦正月・雪のセドナ&冬の虹

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雨の満月

今日は、満月。セドナは冬の雨の満月となりました。
この数日、ずっと厚い雲に覆われています。
北アリゾナは、冬の雨季を迎えているのです。
冬に降る雪と雨は、乾燥地帯の大地にとって、大切な命。
冬の雨しだいで、サボテンをはじめ、春に咲く花たちの咲き具合が毎年違います。
満月は望めませんでしたが、この雨雲の上に
お月さまは、光り輝き、雨のしずくになって注いでいます。
そんなことを想うと、この雨も月の雫。感謝です。
今日は、ハバスーパイ族のユクアラに、友達と一緒に儀式を受けました。彼を入れて、4人、無意識に座った所が、四方向を示していたため、彼が、座った所のエレメントからのメッセージを受け取りましょう、ということで、一人、一人、小さな折り紙に、そのエレメントを書きました。
東 春 Mother Earth 黄色  朝
南 夏 Father Sun  赤   昼
西 秋 Sister Moon 黒   夕
北 冬 Star People 白   夜

ユクアラは、北、ひろこさんが東、ナナは南、ゆみちゃんは西
に座りました。

それから、なにも考えず、それぞれパッと浮かんだものをいいました。
ひろこ:空
ナナ:大きな木(セコイヤのような)
ユミ:海
ユクアラ:水

ユクアラは、満月や新月の時、自分の意図を明確にするために、
何も考えずに、このようなゲーム的なことをすると、そこから
メッセージがもらえる、と言いました。

空は、障害のない無限の可能性、
大きな木は、彼らの部族では、ご先祖様とのつながりを表し、
大きな責任というものを表している、と。
海は、人生のミステリー。
水は、水面下のものが浮上してくるエネルギー。

でも、彼は自分なりに解釈するように、これから数日間の間に
なにかメッセージが来から、と。

それから、ドラムをたたきました。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドン 5回たたいて、ドラムのへりを
カン!と一回

ドン、ドン、ドン、ドン 4回たたいて、ドラムのへりを
カン!と一回

ドン、ドン、ドン 3回たたいて、ドラムのへりを
カン!と一回

ドン、ドン 2回たたいて、ドラムのへりを
カン!と一回

ドン 1回たたいて、ドラムのへりを
カン!と一回

ここまで来たら、今度は逆。
始めはゆっくり、それからだんだん早く。
それで、間違えたら、ドラムを下におかなくてはなりません。
最後まで同じ人が3回勝つまでやる、というゲームをしました。

で、私、3回連続でチャンピオン!(^^)

ユクアラが、これは、みんなの気持ちをほぐして、楽しくするためだと。
それから、バンダナを渡され、これで目隠しをして、
ドラムをたたいてください、と。

でもただたたくのではなく、自分がお母さんのおなかの中にいる時のことを想って、それから、生まれて、今までの人生をドラムのビートで表現し、スピリットと会話をするようにと。

お母さんのお腹の中はとても気持ちがよかったけれど、
生まれてくる所を想い浮かべると、とっても一生懸命なビートに
なりました。
人生で起きた様々なことを想い浮かべると、自然にビートが変わっていきました。

ドラムのバイブレーションが体の中に入って行って、細胞をゆすぶり、活性化させ、再生させてくれているのを感じました。

満月や新月の時、特別なことでなくてもかまいません。
ちょっと意識して、散歩したり、月の光の下で祈ったり、
音楽を聴いてリラックスしたり、それが自分なりの儀式になります。

ユクアラは、そうすることで、自分の意志を明確にする機会になると
言っていました。

アンテナを張っていれば、どんなささいなことからでも、メッセージが受け取れる。

ユーミンの歌みたいね。♪すべてのことはメッセージ♪ ですね。

雨の満月のおかげのセレモニーでした。

儀式をリクエストしてくれたユミちゃん、ひろこさん
儀式をしてくれたユクアラ、
そして、つながるすべての人たち、
水、大地、風、陽、宇宙、母なるガイアと
ガイアに宿るすべての命、
そして、月の女神と恵の雨に感謝します。

Happy Rainy Full Moon!

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Sedona Slow Life

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セドナの初詣

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明けましておめでとうございます

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ホピ考2

「ホピ考」その2

9月にホピについて書き、すぐにその続きを書くつもりが、ちょっと間が空いてしまいました。20121221日にマヤの暦が終わると言うので騒がれていますが、そのことと合わせ、再び、ホピについて書きたいと思います。

私はマヤ暦について、一般的に知られている程度の知識しか持ち合わせていませんが、マヤの暦というのは、いくつもの暦が伝わっているということは、多くの方がご存じだと思います。陰暦、太陽暦、そして約5000年をひとつの周期としている暦など、いくつもの暦があるのだそうです。そして、いわゆるマヤ暦が終わると言われているのは、その長い周期をひとつの周期としている暦が終わる、つまり、また新たな5000年の周期が始まる大晦日みたいなものであると…ですから、私達は、その大きなシフトの中にあり、それを体験できることは素晴らしいことだと思います。しかし、ここで、私の疑問。


「西暦に直した時、それははたして、正確なものであるのか???」


ある研究者さんは、もうとっくに、その暦の入れ替えは終わっているという人もいるようで、なんとも言えないというのが事実なのではないでしょうか?

この世の終わりがくる、という終末思想というのは、今まで何度かありました。「ノストラダムスの予言」は、かなり騒がれましたが、今、ノストラダムスの予言など、どこに行ってしまったのでしょう?という感じですよね。

これは、非常に操作された情報だと思います。人々をコントロールするのに、一番効果的なのは、「怖れ」を利用することです。怖れを持つと、人はパニックになり、その怖れから逃れるために、何かにすがろうとするのが、人間の性というものですよね。つまり、怖れを持っている状態というのは、とても無防備な心理状態で、自分の判断が鈍くなり、コントロールされやすくなる、ということです。しかし、怖れを持たない、ということは不可能です。それは、「怖れ」というのは、本能の一部だからです。私がやっているヒューマンデザインというリーディングでは、怖れは、直感と本能につながっているものだとご説明しています。もし、怖れの本能がなければ、草食動物などすぐにやられてしまいますし、私達も、怖れの本能があるからこそ、ん?これは食べちゃいけないな、とか、この人のことは信用できないな、とか、こっちに行くと危ないかもしれない、という感覚を持つわけです。ですから、怖れを敵に回して、怖れを持っちゃいけない!というような考えを持つのではなく、怖れは私達の身を守ってくれているボディーガードとして意識し、客観的にその怖れがどこから来ているのかを見極めることが大切だと思います。怖れは、あくまでも、私達の中の脇役なんです。怖れに自分の決断の権威を渡してしまったら、今度は、怖れにコントロールされてしまいます。


怖れにコントロールされないためには、情報に洗脳されないための客観性を常に持っていることが大切だと思います。私達は肉体を持って生きている間は、すべては「自我」を通っていく以上、完全に「客観」であることはありえませんが、少なくとも、鵜呑みにするのではなく、比較検討することが必要なのではないでしょうか。

昨今、「スピリチュアル」という言葉に踊らされている人達がかなり多いのではないかと思います。社会体制や、宗教から自由を求めて起こった「ヒッピー・ムーブメント」の行きついた先が、「ニューエイジ」と呼ばれるスピリチュアル・ムーブメントであったと言えるのではないかと思われます。しかし、このニューエイジ・ムーブメントも、一見、マインドを解放するもののように見えるけれども、実は、その中で深い洗脳が起こっていると思います。たとえば、様々な瞑想法を指導する方達、あるいは霊能者、ヒーラーと言われる人達がいらっしゃいますが、その方たちの言うことであれば、盲目的に信じてしまうというようなことが起こる。これは、かなり危険なことのように思います。


先日、私も存じ上げている日本でもとても有名なある瞑想の指導者の方が、アメリカ全国で放送されているラジオの深夜番組に出演なさっていました。彼は、これから地球に数回の天変地異が起こり、人類は2回目まではなんとかサバイバルできるが、3回目の天変地異が起きた時に絶滅する、でも大丈夫、瞑想によって、ライト・ボディーを手に入れれば、肉体を持たずに別の次元へ移動できるから、というような内容のお話でした。いわゆる「アセンション」というものでしょうね。

この方は彼の愛を持って、人々に忠告と指導をなさっているとは思いますが、やはり、怖れをベースにしたマインド・コントロールにはかわりない、と思います。

私はその方をとても尊敬していますが、だからといって、彼の言うことを100%鵜呑みにはできません。誰か、或いは、宗教の教えに従っている方が、ずっと楽だと思います。自分が生きて行くための指針を自分自身で見出すことは、時に難しく感じることもあるかもしれません。しかし、自分の内のガッツフィーリング(体の声)がゴーサインを出しているかどうかを基準にすれば、そんなに難しいことではないと思います。

或る時、ツアーの方から、「セドナはスピリチュアルな所だと聴いていますが、ナナさんにとってスピリチュアルってなんですか?」と質問されたことがありました。私はその時、

「私にとって、スピリチュアルというのは、人として当たり前のことを、当たり前のこととしてすることだと思っています」とお答えしました。

例えば、ベルロックの上で瞑想して、天からの啓示を受けた、と思ったとしても、目の前に落ちているゴミを拾わなければ、全く意味がない、ということです。自分ができる範囲でいいから、人としてできることを当たり前のこととしてすること、それが「スピリチュアル」な行為だと思っています。その一部として、私はベジタリアンになり、今は、乳製品、卵も食べていません。いわゆる「ビーガン」ですが、その話しになると、とても長くなるので今はしませんが、それも私にとっては、この地球という星に、人として生かされていることへの感謝として、当たり前のことだと思ってしています。

「グル(尊師)」というのは、人々に智恵と愛を分かち合う者であって、崇拝される対象ではない、ということ、そして、究極的には、自分が自分自身のグルであることを見出すことが大切だと思います。そのためにも、手に入れた情報なり、知識なりは、一旦、自分の中で消化させる時間を取り、それが本当に自分の信念に沿うものであるかを見極め、それを実践して初めて自分の中で智恵となるのだと思います。

 

ネイティブ・アメリカンの「長老」という肩書も、「グル」と同じような魅力を感じさせるものとして、その肩書に人々は盲目的な信頼をおいてしまっている、と私は感じています。

私は、今朝、今月半ばにホピを訪ねる予定になっていることもあり、私が尊敬しているホピの「長老」ご夫婦に電話をしました。そして、その時「長老」という言葉の意味についてお尋ねしました。

ホピでは、長老(Elder)という言葉には、二つの意味がある。

つまり、文字通り、「年寄り」ということ。つまり、歳をとっていれば、じいちゃん、ばあちゃんになるわけで、Elder と呼ばれてもおかしくないわけですね。

しかし、「Elder」が日本語で「長老」と訳される場合、宗教的な意味合いを帯びてくる。

それは、ホピのイニシエーション(通過儀礼)を受け、その智恵を受け継いだ年長者だけが、ホピの長老、と呼ばれる資格を持つのだ、ということ。

そして、ホピというのは、部族の名称ではない、とその長老はいいます。

「ホピ」というのは、宗教の名称である。つまり、人はホピとして生まれるのではなく、ホピになるのだ、と。キリスト教徒は、生まれた時からクリスチャンであるわけではなく、洗礼を受けて初めてキリスト教徒になりますよね。それと同じなんだ、と。

以前、懇意にしていた第一メサの友達が「ホピというのは、部族の名前ではなく、神の道を行く者という意味だ」と教えられた、とおっしゃっていたことの具体的な意味がやっとわかった気がします。

だから、厳密に言うと、ホピ族、といのはなく、アメリカ政府が決めたホピの居留区に住んでいる多くのクラン(氏族)に別れているプエブロインディアンを、通称「ホピ族」と呼んでいるだけだと。だから、例えば、ホピの○○村のウォーター・クラン(水族)の○○さん、という言い方が正しいのだと。

E長老は、16歳の時、ホピの長老に見出され、イニシエーションを受け、修行をしてきたので、「ホピの長老」と呼ばれる資格をもった数少ない方ですが、名前は今の所、出さないことにします。そういうことを言うと、ホピの人達からも攻撃されてしまう、ということなので…彼が本当のことを言うと、みんな嫌がるのだそうです。


「ホピの予言」という映画に出ていたM長老も、厳密にはホピではない、とE長老はおっしゃっています。ホテビラ(ホピの第三メサの村)の○○クランの長老、という言い方が正しいと。最近、「ホピの長老」という肩書を使いたがるやからが多く、「ホピの長老」という肩書で儀式やイベントをしている者もいるが、本当のホピの長老達はそれに対して何も言わないが、快くは思っていない、とおっしゃっていました。

宗教としてのホピの儀式は、ホピの通過儀礼を受けたものだけによって取り行われ、部外者と一緒にやることは絶対にないし、外部には全く公開されないと。奥さんであっても、参加できないし、どんなことをするのかも聞いてもいけないのだそうです。E長老の奥さまは、自分はホピの通過儀礼を受けていないので、私は、サン・クラン(太陽族)であってホピではない、とおっしゃっていて、自分達、奥さんの役目は、長老が儀式に入っている時、食事を用意することなのだと。

そして、日本でも話題になっている、いわゆる「ホピの予言」ということについてですが、そんなものはない、と明言されました。各氏族に伝わっている伝承というのはあるけれども、ホピ族、というくくりではそういったものはなく、各氏族に伝えられている話しは、他の氏族には知らされていないと。そして、「ホピの予言(Book of Hopi)」という本も、外国人が書いたでたらめだとおっしゃっていました。

E長老は、ホピの歴史を語り継ぐ責任を負ったブルーバード族の最後の末裔です。

それぞれのクランには、それぞれの責任があり、それ以外のことは他の氏族に対して干渉しない、というのが原則だそうです。

ホピの精霊(神)がカチーナだと思われていますし、私もそう思っていたのですが、E長老によると、カチーナというのは、コロラドの方に住んでいた氏族で、カチーナという精霊達による教えをもたらした宗教的役目を負った氏族であるということです。

次回、ホピを訪ねる時、カチーナについてお尋ねし、ホピの教えというものを、失礼のない範囲でお伺いしたいと思っています。(長老の奥さんに、聞いていいことと、いけないことがある、と言われましたので…)

 

2012年も終わりに近づいています。

今、なにはともあれ、人類は自分達が歩んで行く道の方向を見定める岐路に立たされていることはまちがいありません。過去の人々から学び、「長老」や「グル」と言われる人々から学ぶことは素晴らしいことですが、盲目的に信じるのではなく、自分の内に取り入れながら、しっかりと自分の歩んで行く道を見出していきたいと思います。

 

 

また次回に続きます…(ホピの結婚制度や氏族のランキングなど、とても興味深いお話も伺っているので、それらについても、いつか書きたいと思っています)

 

 

 

 

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サンタ 考

「サンタ」考

 

多くの人が気づいているように、クリスマスは、商売的な目的が見事に成功した例だと思います。こんなことを書くと、バッシングを受けるかもしれないし、子供の夢を壊すと言われるかもしれないけれど、洗脳から抜け出し、本当の意味を考えるために、あえて書いてみようと思います。

 

そのために、以下、サンタクロースの由来と言われる一説を読んでみてください。(Wikipedia より)

______________________

 

4世紀頃の東ローマ帝国・小アジアのミラの司教(主教)、教父聖ニコラオス(ニコラウス)の伝説が起源である。「ニコラオス」の名はギリシア語表記。ラテン語ではニコラウス。イタリア語、スペイン語、フランス語ではサン・ニコラ。イタリア語ではニコラオとも。ロシア語ではニコライ。

以下のような伝説のほか、無実の罪に問われた死刑囚を救った聖伝も伝えられている。

「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。この逸話が由来となり、「夜中に煙突から家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という、今日におけるサンタクロースの伝承が生まれている。

 

また、ニコラオスは学問の守護聖人として崇められており、アリウス異端と戦った偉大な教父でもあった。教会では聖人として列聖されているため、「聖(セント)ニコラオス」という呼称が使われる。これをオランダ語にすると「シンタクラース」である。オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の126日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。

 

正教会系の国では、サンタクロースは厳密に「奇蹟者」の称号をもつ聖人たる聖ニコラオス(聖ニコライ)であり、聖ニコラオスの祭日は126日である(聖名祝日の項目を参照)。子供たちがこの日に枕元に靴下を吊るしておくと、翌朝に入っているのはお菓子である。クリスマスである1225日は聖体礼儀に行く日で、プレゼントはない。

 

ユリウス暦を採用している正教会(エルサレム総主教庁、ロシア正教会など)の聖ニコラオスの祭日は1219日であり、主の降誕祭(クリスマス)は、現行の暦に換算すると17日である(2008年現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日の差があるため)。ロシアでは17日にジェド・マロース(Дед мороз, マロース爺さん:マロースとはロシア語で「吹雪」「寒波」という意味)と孫のスネグーラチカ(Снегурочка, 雪娘)がプレゼントを運んでくる。

________________________

 

以下、クリスマスの起源について (Wikipedia より)

 

キリスト教においてもクリスマスは「降誕を記念する祭日」と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった(例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは520日と推測していた)

降誕祭とは別に、西方教会では16日にキリストの公現を祝う(公現祭)。1225日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。

________________________

 

つまり、キリストの誕生祭とされるクリスマスは、イエスが生まれた日とは関係なく、冬至を迎え、少しずつ、光が戻ってくるという象徴的な日(正確な冬至ではないけれども)を、救世主が光を世にもたらすことの象徴として選ばれた日であることがわかります。

 

そして、サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれる、というのは、救世主の誕生祭とは全く関係ないことがわかりますよね・・・

 

セント・ニコラウスが、貧しい娘を救おうとしたことが起源であるとすると、これは、人のためになにかをする、世の中のために何か貢献をする日であって、プレゼントを求める日ではないはず。

 

現在のクリスマスの状況は、無駄なプレゼントの応酬のためのバーゲンセール、と言っても過言でなないかと思います。そして、これは、幼い頃から、物質主義になるための洗脳と言ってもいいのではないかと。私自身、ずっと洗脳されてきましたから、人事としていっているわけではありません。自分の子供が小さい頃、「サンタさんに何をお願いするの?」と聞いていましたからね。でもそれは、「物」であったわけです。

例えば「苦しんでいる人が幸せになりますように」とか、「おじいちゃんの病気が治りますように」とか、「世界が平和になりますように」とか、そんなことじゃないですよね。親の私達がまず、洗脳されていますから、子供にも、物質主義を知らない間に植えつけてしまっているわけです。

潜在意識へのメッセージとして、サブリミナル的に「サンタ=サタン」という音が入って来るような気がします。ネガティブな考えだと思われるかもしれませんが、物質欲にかられるように仕向けるというのは、サタン(物質主義の神)への崇拝だと言ってもいいと思います。つまり、「サンタさんにお願いする」というのは、サタンにお願いする、というのと変わりがないということ。

クリスマスには、大人はショッピングをしなくてはいけないような意識を植えつけられ、子供たちは、自分の望みの物を手に入れるために、いい子になろうとする。

いい子にしていないと、望みの物が手に入らない、つまり、物欲を満たすための訓練をさせられている、と言えないでしょうか?

つまり、物を手に入れるために奴隷になる、と言っても過言ではないのでしょうか?

何かが間違っていると思いませんか?


私も自分の子供が小さい頃は、気がつかなかった。もし、やりなおせるなら、その日はなにか一つでもいいから、他の人のため、或いはコミュニティ、世界のために、何かを願い、行動することを、子供たちに教えたい。

周囲の子供たちが、プレゼントをもらう中、自分の子供にそういう教えをするのは、とても難しいことだと思います。でも、ほんとうのサンタクロースは、サタンではないはず。

サンタクロースの夢は壊さずにでも、物質的なことを願うことから、心の豊かさを育てられるような形にシフトさせることはできるではないでしょうか。

これから、お子さんを育てる方、ちょっと考えてみてください。

一年に一度、プレゼントの交換をすることで、お互いの事を考えられるんだから、いいじゃない、と思われるかもしれませんが、私達は洗脳されてしまっていることに気づかないでいる、ということが問題だと思うのです。

私もこれから、家族や周囲の人に、何か自分のできることをし、世界の平和を祈る日にしたいと思います。

世界が光で満たされますように…

LOVE ナナ

 

 

 

Sedona Twilight Magic

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セドナのやさしい秋風の歌

Autumn Light in Antelope Canyon

秋になると、アッパー・アンテロープ・キャニオンのスポットライトのようなドラマチックな光は入って来なくなりますが、ローアー・アンテロープ・キャニオンの陰影は相変わらずとても美しい。

夏の豪雨による鉄砲水がなだれ込み、うねりながら通っていった跡が、この美しく幻想的なキャニオンの造形を創り出しています。

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