ホピ・グランドキャニオンの旅

この間のホピへの旅は、二泊三日だったこともあり、とても充実したものとなりました。

ホピでは写真撮影は、個人宅などで許可してもらった時だけ撮影できますが、外の風景などは公にしないことを条件に撮らせていただきました。

まず、友人であり、素晴らしいホピジュエリー作家であるルーベンさんを第二メサにあるションゴパビという村に訪ねました。

 

奥さんのバービーさんが、フライブレッドをその場で作ってくれて、ホピタコというメキシカンの影響を受けた料理でランチ。煮豆とレタス、トマト、チーズなど好きなものをフライブレッドの上にのせて、辛いソースはお好みで。普通はひき肉を入れて豆を煮ますが、私がベジタリアンなので、肉なしで調理してくれました。感謝!

フライブレッドの隣の鍋で煮だしているのは、通称ホピティーと呼ばれるお茶で、外に生えている野草です。何度も煮出すことができて、最後には染料として使います。籠を編むヤッカなどを染めたりしますが、そのままだと黄色、それをいぶすと濃いオレンジ色になるそうです。

 

ルーベンさんは、アメリカ国内だけではなく、日本、ヨーロッパなど様々な国から呼ばれて、ワークショップやダンスなどで彼のホピとしてのメッセージを伝えています。訪ねて行くと、いつも日本を訪ねた時のことや、 自分が伝えたいメッセージについて語ってくれます。

彼は、自分がアル中だったこと、そこから立ち直ったことを例に出して話してくれました。

 

アル中だった彼が、今はホピから世界の平和を祈るメッセンジャーとして様々な国に呼ばれている。自分が変わることができたのだから、変化させたいという意志を持てば、誰でも人は自分を変えられる。だから、自分は過去のことを隠さない、今の自分を誇りに思えることが大事だから、と。

そして、自分を変えることができるという自信があれば、みんなで心を合わせることで、世界も変えられる、という信念のもと、ルーベンさんは世界を周っているのです。

 

彼は、ウォータークラン(水族)という氏族で、水に囲まれた国、日本とも強いつながりを感じているそうです。2011年日本は大地震と共に大津波に襲われ、多くの尊い命が奪われました。その直後、家族達の心配をよそに、ルーベンさんは日本に行きました。大切な使命があると感じらからです。日本の震災の直後、ルーベンさんの弟が病気で亡くなりました。彼は家族を失った悲しみを抱えた日本の人達と、悲しみを超えて、希望の光を分かち合いたちと思ったのです。

 

私達は水なしでは生きられません。しかし、水も火も、場合によっては恵にもなり、災いにもなりえます。彼は、水族として、今も日本の人々の水からの祝福と癒しを願い、祈ってくれています。

日本の多くの人々は、ホピを神聖視していますが、彼は、ホピの人々も世界の人々と同様、堕落してしまっている部分もあり、ホピ自体、癒しが必要だと言っています。だから、ホピに来たら、ホピの人々のためにも祈ってほしいと。

 

私も、長年、ホピの人々と関わってきて、ホピの素晴らしい所だけでなく、とても暗い闇の部分も体験してきました。ホピでは、黒魔術も日常のこととして存在しています。私も、全く自覚はありませんでしたが、黒魔術にかけられていたようなことがありました。

 

初めてホピに行った時、まだ、ホピのことはもちろん、ネイディブの文化についての知識などほとんどない状態の時でした。その時、蛇族のメディスンマンという人の所へ連れて行かれました。そこで彼はホピの言葉で朝の祈りを捧げていたので、私には何を祈っていたのか、全くわかりませんでしたが、祈りの最中、突然、青い顔でタコのようなとがった口の仮面のようなものが見えました。カチーナのことも、全然知らなかったので、何なんだろう?と思って、祈りが終わってから彼に訪ねると、それはモーニング・カチーナという精霊で、その精霊に彼は祈りを捧げていたと。それで、そのカチーナが私に語りかけてきたのだ、君は特別なエネルギーを持っているから、と言って、イーグルの羽と、とてもパワフルなメディスンマンであった彼のおじさんから授かったというメディスンパウチを私に授ける、と言われました。

 

そんな怖れ多いと、一旦、お断りしたのですが、どうしても私が持っていなければならないと言われ、今であれば、決して受け取りませんが、その時は断るのも失礼かもしれないと思い、受け取ってしまったのです。私はその時、イーグルは保護鳥であるため、その羽はネイティブの人しか持つことを許されないものだということすら知りませんでした。なぜ、初めて会った私なんぞにそんな貴重なものを授けようとしたのか、わかりませんでしたが、その後、彼からひどい目に遭わされることになりました。

 

それは、彼が私に黒魔術をかけるためであったと、友達になった別のホピの人から言われました。しかし、その時は、それがブラックマジックであることなど、夢にも思いませんでしたし、言われても、実感もありませんでした。そして今度は、その黒魔術を解く儀式をすることになりました。燻製にされるんじゃないかと思うほど、シーダーの葉をもくもく炊いた中に立たされて、イーグルの羽でパタパタと体軽く叩かれ、悪い氣を追い出してくれたのだと思います。そして、授かったものはすべて燃やしました。

 

私は、正直言って、どこにでも存在する矛盾というものを、このホピでも感じます。例えば、第一メサのワルピ、第三メサのオールド・オライビ、ホテビラの一部は、今でも水道、電気、ガスなどは通っていません。第三メサのマルティン長老にそのことを尋ねたことがありました。その時、彼はこうおっしゃいました。

 

「自分達はホピだけでなく、地球全体の地脈を守っている。この地に電気や水道やガスの管を大地に通すと、地球全体の地脈が狂ってしまうから、我々はそれを拒んでいるのだ」

 

世界の地脈を守り、大地と共に生きる姿勢との矛盾。ホピは世界で起きていることの縮図なのでしょう。

 

ホピの人々は、中南米から移り住んだと考えられています。言葉もアステカ語の一種で、彼らがアステカ文明と密接な関係があることがわかります。神に導かれた人々が辿りついたのがこの土地だと言われますが、なぜ食べ物が豊富な中南米から、乾いた荒涼としたこの地に移り住んだのか・・・

 

それは、豊かな土地にいると、人間は神への感謝を忘れてしまう。

だから、神への祈りと感謝なしには生きていられないような土地を聖地としたのだ、と。

 

しかし、今、ホピの言葉すら話せなくなっているホピの若者たちも増えていて、精神性と現実の狭間でバランスを取ることが難しくなってきているように思えます。

 

ただ単純にホピを神聖視するのではなく、彼らの現状も踏まえたうえで、ホピと関わって行きたいと思っています。

 

それから、銀細工の写真は、ルーベンの手によるココペリです。ココペリは、豊穣の神様(精霊)と言われていて、南はアステカ文明から現在のフォーコーナーズ(コロラド、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ)まで広範囲に渡って、伝説や岩絵に登場します。背中のこぶの中には、作物の種があって、飢饉の時、人々にその種を与え、彼が笛を吹くと作物が育つ、と言われていますが、第二メサの長老曰く、ココペリは元々、行商人で、背中のこぶは荷物で、村にやってくると笛を吹いて知らせたのが元だということです。広範囲に渡り、様々な物やニュースをもたらす行商人は、言ってみれば、豊かさをもたらしてくれるわけで、それが豊穣の神、ココペリと重なり、いつしかその姿がココペリとして知られるようになったのではないか、ということです。(次回に続く・・・)