「サンタ」考
多くの人が気づいているように、クリスマスは、商売的な目的が見事に成功した例だと思います。こんなことを書くと、バッシングを受けるかもしれないし、子供の夢を壊すと言われるかもしれないけれど、洗脳から抜け出し、本当の意味を考えるために、あえて書いてみようと思います。
そのために、以下、サンタクロースの由来と言われる一説を読んでみてください。(Wikipedia より)
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4世紀頃の東ローマ帝国・小アジアのミラの司教(主教)、教父聖ニコラオス(ニコラウス)の伝説が起源である。「ニコラオス」の名はギリシア語表記。ラテン語ではニコラウス。イタリア語、スペイン語、フランス語ではサン・ニコラ。イタリア語ではニコラオとも。ロシア語ではニコライ。
以下のような伝説のほか、無実の罪に問われた死刑囚を救った聖伝も伝えられている。
「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。この逸話が由来となり、「夜中に煙突から家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という、今日におけるサンタクロースの伝承が生まれている。
また、ニコラオスは学問の守護聖人として崇められており、アリウス異端と戦った偉大な教父でもあった。教会では聖人として列聖されているため、「聖(セント)ニコラオス」という呼称が使われる。これをオランダ語にすると「シンタクラース」である。オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。
正教会系の国では、サンタクロースは厳密に「奇蹟者」の称号をもつ聖人たる聖ニコラオス(聖ニコライ)であり、聖ニコラオスの祭日は12月6日である(聖名祝日の項目を参照)。子供たちがこの日に枕元に靴下を吊るしておくと、翌朝に入っているのはお菓子である。クリスマスである12月25日は聖体礼儀に行く日で、プレゼントはない。
ユリウス暦を採用している正教会(エルサレム総主教庁、ロシア正教会など)の聖ニコラオスの祭日は12月19日であり、主の降誕祭(クリスマス)は、現行の暦に換算すると1月7日である(2008年現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日の差があるため)。ロシアでは1月7日にジェド・マロース(Дед мороз, マロース爺さん:マロースとはロシア語で「吹雪」「寒波」という意味)と孫のスネグーラチカ(Снегурочка, 雪娘)がプレゼントを運んでくる。
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以下、クリスマスの起源について (Wikipedia より)
キリスト教においてもクリスマスは「降誕を記念する祭日」と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった(例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)
降誕祭とは別に、西方教会では1月6日にキリストの公現を祝う(公現祭)。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。
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つまり、キリストの誕生祭とされるクリスマスは、イエスが生まれた日とは関係なく、冬至を迎え、少しずつ、光が戻ってくるという象徴的な日(正確な冬至ではないけれども)を、救世主が光を世にもたらすことの象徴として選ばれた日であることがわかります。
そして、サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれる、というのは、救世主の誕生祭とは全く関係ないことがわかりますよね・・・
セント・ニコラウスが、貧しい娘を救おうとしたことが起源であるとすると、これは、人のためになにかをする、世の中のために何か貢献をする日であって、プレゼントを求める日ではないはず。
現在のクリスマスの状況は、無駄なプレゼントの応酬のためのバーゲンセール、と言っても過言でなないかと思います。そして、これは、幼い頃から、物質主義になるための洗脳と言ってもいいのではないかと。私自身、ずっと洗脳されてきましたから、人事としていっているわけではありません。自分の子供が小さい頃、「サンタさんに何をお願いするの?」と聞いていましたからね。でもそれは、「物」であったわけです。
例えば「苦しんでいる人が幸せになりますように」とか、「おじいちゃんの病気が治りますように」とか、「世界が平和になりますように」とか、そんなことじゃないですよね。親の私達がまず、洗脳されていますから、子供にも、物質主義を知らない間に植えつけてしまっているわけです。
潜在意識へのメッセージとして、サブリミナル的に「サンタ=サタン」という音が入って来るような気がします。ネガティブな考えだと思われるかもしれませんが、物質欲にかられるように仕向けるというのは、サタン(物質主義の神)への崇拝だと言ってもいいと思います。つまり、「サンタさんにお願いする」というのは、サタンにお願いする、というのと変わりがないということ。
クリスマスには、大人はショッピングをしなくてはいけないような意識を植えつけられ、子供たちは、自分の望みの物を手に入れるために、いい子になろうとする。
いい子にしていないと、望みの物が手に入らない、つまり、物欲を満たすための訓練をさせられている、と言えないでしょうか?
つまり、物を手に入れるために奴隷になる、と言っても過言ではないのでしょうか?
何かが間違っていると思いませんか?
私も自分の子供が小さい頃は、気がつかなかった。もし、やりなおせるなら、その日はなにか一つでもいいから、他の人のため、或いはコミュニティ、世界のために、何かを願い、行動することを、子供たちに教えたい。
周囲の子供たちが、プレゼントをもらう中、自分の子供にそういう教えをするのは、とても難しいことだと思います。でも、ほんとうのサンタクロースは、サタンではないはず。
サンタクロースの夢は壊さずにでも、物質的なことを願うことから、心の豊かさを育てられるような形にシフトさせることはできるではないでしょうか。
これから、お子さんを育てる方、ちょっと考えてみてください。
一年に一度、プレゼントの交換をすることで、お互いの事を考えられるんだから、いいじゃない、と思われるかもしれませんが、私達は洗脳されてしまっていることに気づかないでいる、ということが問題だと思うのです。
私もこれから、家族や周囲の人に、何か自分のできることをし、世界の平和を祈る日にしたいと思います。
世界が光で満たされますように…
LOVE ナナ