ホピ考2

「ホピ考」その2

9月にホピについて書き、すぐにその続きを書くつもりが、ちょっと間が空いてしまいました。20121221日にマヤの暦が終わると言うので騒がれていますが、そのことと合わせ、再び、ホピについて書きたいと思います。

私はマヤ暦について、一般的に知られている程度の知識しか持ち合わせていませんが、マヤの暦というのは、いくつもの暦が伝わっているということは、多くの方がご存じだと思います。陰暦、太陽暦、そして約5000年をひとつの周期としている暦など、いくつもの暦があるのだそうです。そして、いわゆるマヤ暦が終わると言われているのは、その長い周期をひとつの周期としている暦が終わる、つまり、また新たな5000年の周期が始まる大晦日みたいなものであると…ですから、私達は、その大きなシフトの中にあり、それを体験できることは素晴らしいことだと思います。しかし、ここで、私の疑問。


「西暦に直した時、それははたして、正確なものであるのか???」


ある研究者さんは、もうとっくに、その暦の入れ替えは終わっているという人もいるようで、なんとも言えないというのが事実なのではないでしょうか?

この世の終わりがくる、という終末思想というのは、今まで何度かありました。「ノストラダムスの予言」は、かなり騒がれましたが、今、ノストラダムスの予言など、どこに行ってしまったのでしょう?という感じですよね。

これは、非常に操作された情報だと思います。人々をコントロールするのに、一番効果的なのは、「怖れ」を利用することです。怖れを持つと、人はパニックになり、その怖れから逃れるために、何かにすがろうとするのが、人間の性というものですよね。つまり、怖れを持っている状態というのは、とても無防備な心理状態で、自分の判断が鈍くなり、コントロールされやすくなる、ということです。しかし、怖れを持たない、ということは不可能です。それは、「怖れ」というのは、本能の一部だからです。私がやっているヒューマンデザインというリーディングでは、怖れは、直感と本能につながっているものだとご説明しています。もし、怖れの本能がなければ、草食動物などすぐにやられてしまいますし、私達も、怖れの本能があるからこそ、ん?これは食べちゃいけないな、とか、この人のことは信用できないな、とか、こっちに行くと危ないかもしれない、という感覚を持つわけです。ですから、怖れを敵に回して、怖れを持っちゃいけない!というような考えを持つのではなく、怖れは私達の身を守ってくれているボディーガードとして意識し、客観的にその怖れがどこから来ているのかを見極めることが大切だと思います。怖れは、あくまでも、私達の中の脇役なんです。怖れに自分の決断の権威を渡してしまったら、今度は、怖れにコントロールされてしまいます。


怖れにコントロールされないためには、情報に洗脳されないための客観性を常に持っていることが大切だと思います。私達は肉体を持って生きている間は、すべては「自我」を通っていく以上、完全に「客観」であることはありえませんが、少なくとも、鵜呑みにするのではなく、比較検討することが必要なのではないでしょうか。

昨今、「スピリチュアル」という言葉に踊らされている人達がかなり多いのではないかと思います。社会体制や、宗教から自由を求めて起こった「ヒッピー・ムーブメント」の行きついた先が、「ニューエイジ」と呼ばれるスピリチュアル・ムーブメントであったと言えるのではないかと思われます。しかし、このニューエイジ・ムーブメントも、一見、マインドを解放するもののように見えるけれども、実は、その中で深い洗脳が起こっていると思います。たとえば、様々な瞑想法を指導する方達、あるいは霊能者、ヒーラーと言われる人達がいらっしゃいますが、その方たちの言うことであれば、盲目的に信じてしまうというようなことが起こる。これは、かなり危険なことのように思います。


先日、私も存じ上げている日本でもとても有名なある瞑想の指導者の方が、アメリカ全国で放送されているラジオの深夜番組に出演なさっていました。彼は、これから地球に数回の天変地異が起こり、人類は2回目まではなんとかサバイバルできるが、3回目の天変地異が起きた時に絶滅する、でも大丈夫、瞑想によって、ライト・ボディーを手に入れれば、肉体を持たずに別の次元へ移動できるから、というような内容のお話でした。いわゆる「アセンション」というものでしょうね。

この方は彼の愛を持って、人々に忠告と指導をなさっているとは思いますが、やはり、怖れをベースにしたマインド・コントロールにはかわりない、と思います。

私はその方をとても尊敬していますが、だからといって、彼の言うことを100%鵜呑みにはできません。誰か、或いは、宗教の教えに従っている方が、ずっと楽だと思います。自分が生きて行くための指針を自分自身で見出すことは、時に難しく感じることもあるかもしれません。しかし、自分の内のガッツフィーリング(体の声)がゴーサインを出しているかどうかを基準にすれば、そんなに難しいことではないと思います。

或る時、ツアーの方から、「セドナはスピリチュアルな所だと聴いていますが、ナナさんにとってスピリチュアルってなんですか?」と質問されたことがありました。私はその時、

「私にとって、スピリチュアルというのは、人として当たり前のことを、当たり前のこととしてすることだと思っています」とお答えしました。

例えば、ベルロックの上で瞑想して、天からの啓示を受けた、と思ったとしても、目の前に落ちているゴミを拾わなければ、全く意味がない、ということです。自分ができる範囲でいいから、人としてできることを当たり前のこととしてすること、それが「スピリチュアル」な行為だと思っています。その一部として、私はベジタリアンになり、今は、乳製品、卵も食べていません。いわゆる「ビーガン」ですが、その話しになると、とても長くなるので今はしませんが、それも私にとっては、この地球という星に、人として生かされていることへの感謝として、当たり前のことだと思ってしています。

「グル(尊師)」というのは、人々に智恵と愛を分かち合う者であって、崇拝される対象ではない、ということ、そして、究極的には、自分が自分自身のグルであることを見出すことが大切だと思います。そのためにも、手に入れた情報なり、知識なりは、一旦、自分の中で消化させる時間を取り、それが本当に自分の信念に沿うものであるかを見極め、それを実践して初めて自分の中で智恵となるのだと思います。

 

ネイティブ・アメリカンの「長老」という肩書も、「グル」と同じような魅力を感じさせるものとして、その肩書に人々は盲目的な信頼をおいてしまっている、と私は感じています。

私は、今朝、今月半ばにホピを訪ねる予定になっていることもあり、私が尊敬しているホピの「長老」ご夫婦に電話をしました。そして、その時「長老」という言葉の意味についてお尋ねしました。

ホピでは、長老(Elder)という言葉には、二つの意味がある。

つまり、文字通り、「年寄り」ということ。つまり、歳をとっていれば、じいちゃん、ばあちゃんになるわけで、Elder と呼ばれてもおかしくないわけですね。

しかし、「Elder」が日本語で「長老」と訳される場合、宗教的な意味合いを帯びてくる。

それは、ホピのイニシエーション(通過儀礼)を受け、その智恵を受け継いだ年長者だけが、ホピの長老、と呼ばれる資格を持つのだ、ということ。

そして、ホピというのは、部族の名称ではない、とその長老はいいます。

「ホピ」というのは、宗教の名称である。つまり、人はホピとして生まれるのではなく、ホピになるのだ、と。キリスト教徒は、生まれた時からクリスチャンであるわけではなく、洗礼を受けて初めてキリスト教徒になりますよね。それと同じなんだ、と。

以前、懇意にしていた第一メサの友達が「ホピというのは、部族の名前ではなく、神の道を行く者という意味だ」と教えられた、とおっしゃっていたことの具体的な意味がやっとわかった気がします。

だから、厳密に言うと、ホピ族、といのはなく、アメリカ政府が決めたホピの居留区に住んでいる多くのクラン(氏族)に別れているプエブロインディアンを、通称「ホピ族」と呼んでいるだけだと。だから、例えば、ホピの○○村のウォーター・クラン(水族)の○○さん、という言い方が正しいのだと。

E長老は、16歳の時、ホピの長老に見出され、イニシエーションを受け、修行をしてきたので、「ホピの長老」と呼ばれる資格をもった数少ない方ですが、名前は今の所、出さないことにします。そういうことを言うと、ホピの人達からも攻撃されてしまう、ということなので…彼が本当のことを言うと、みんな嫌がるのだそうです。


「ホピの予言」という映画に出ていたM長老も、厳密にはホピではない、とE長老はおっしゃっています。ホテビラ(ホピの第三メサの村)の○○クランの長老、という言い方が正しいと。最近、「ホピの長老」という肩書を使いたがるやからが多く、「ホピの長老」という肩書で儀式やイベントをしている者もいるが、本当のホピの長老達はそれに対して何も言わないが、快くは思っていない、とおっしゃっていました。

宗教としてのホピの儀式は、ホピの通過儀礼を受けたものだけによって取り行われ、部外者と一緒にやることは絶対にないし、外部には全く公開されないと。奥さんであっても、参加できないし、どんなことをするのかも聞いてもいけないのだそうです。E長老の奥さまは、自分はホピの通過儀礼を受けていないので、私は、サン・クラン(太陽族)であってホピではない、とおっしゃっていて、自分達、奥さんの役目は、長老が儀式に入っている時、食事を用意することなのだと。

そして、日本でも話題になっている、いわゆる「ホピの予言」ということについてですが、そんなものはない、と明言されました。各氏族に伝わっている伝承というのはあるけれども、ホピ族、というくくりではそういったものはなく、各氏族に伝えられている話しは、他の氏族には知らされていないと。そして、「ホピの予言(Book of Hopi)」という本も、外国人が書いたでたらめだとおっしゃっていました。

E長老は、ホピの歴史を語り継ぐ責任を負ったブルーバード族の最後の末裔です。

それぞれのクランには、それぞれの責任があり、それ以外のことは他の氏族に対して干渉しない、というのが原則だそうです。

ホピの精霊(神)がカチーナだと思われていますし、私もそう思っていたのですが、E長老によると、カチーナというのは、コロラドの方に住んでいた氏族で、カチーナという精霊達による教えをもたらした宗教的役目を負った氏族であるということです。

次回、ホピを訪ねる時、カチーナについてお尋ねし、ホピの教えというものを、失礼のない範囲でお伺いしたいと思っています。(長老の奥さんに、聞いていいことと、いけないことがある、と言われましたので…)

 

2012年も終わりに近づいています。

今、なにはともあれ、人類は自分達が歩んで行く道の方向を見定める岐路に立たされていることはまちがいありません。過去の人々から学び、「長老」や「グル」と言われる人々から学ぶことは素晴らしいことですが、盲目的に信じるのではなく、自分の内に取り入れながら、しっかりと自分の歩んで行く道を見出していきたいと思います。

 

 

また次回に続きます…(ホピの結婚制度や氏族のランキングなど、とても興味深いお話も伺っているので、それらについても、いつか書きたいと思っています)

 

 

 

 

コメント: 3 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

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  • #2

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