私達はいつも、友人が住む私有地にある水汲み小屋の泉に、飲み水やお料理に使う水を汲みに行きます。
ここは、セドナの歴史の本にも載っている所で、開拓者時代にここに住み着いたトンプソン一家が
ここから水をポンプで汲み上げ、水道のように使っていたところです。
ひとつひとつ、水を汲むのは、瞑想のようです。
このおかげで、私達は飲料水を買うことはありません。
昨日は、朝9時でもマイナス7度、最高気温も1度くらいでとても寒く
水を汲んでいると、手がしびれて感覚がなくなってしまいました。
それでも、車まで、よっこらしょ、と運んで行く時、セドナのスローライフの歓びを感じます。
泉のある森の梢の向こうには、雄大な姿を誇るレッドロック。
水汲み小屋の外に、誰かがつるした祈りの羽が太陽の光を受けて揺れていました。
その近くには、シナワ族かヤバパイ族が残したと思われる、とうもろこしを粉にする石臼と陶器のかけらも落ちています。
母なるガイアの命として水は湧き、大地の記憶をこんこんと地上に送りだしてきたのでしょう。
そして古からの感謝の祈りもまた、この水は記憶していることでしょう。
清らな水に感謝。
そして、母なる地球に感謝。
ありがとうございます。