この30年間、私は夢日記をつけています。
たまに、とても普遍性のあるメッセージをもった夢を見ます。
今朝もそんな夢だったので、ここに記し、シェアさせていただきますね☆

私は神々しい巨人のような白い布を纏ったとても大きな人の膝に座っていた。膝に座っていたが顔は見えなかった。
その巨人は私に二人の男の人生を観せた。

一人の男は、苦労した様々な自分の体験を語り、そのことによって人に影響を与え、有名になり、賞賛されることに喜びを覚え、ますます、自分の体験を人に伝え、満ち足りた人生を送っている。

もう一人の男は、とても質素に自然の中で暮らし、有名になることなど無縁で、自分の周囲にあるすべての人、すべてのものの中に美しさを見いだし、自分が賞賛されることではなく、自分がすべてを賞賛することに歓びを見いだし、満ち足りた人生を送っている。

どちらが良い悪いということではない。
どちらも同じテーマの違った側面なのだ、と。

そこで目が覚めました。
その巨人はゼウスのイメージがしました。

そして、目が覚めてから、考えました。
どちらも素晴らしい生き方なんだろうな。だけど・・・

一人目の男は、素晴らしいことをしているけど、エゴがあるんだろうか?
二人目の男は、無我の境地にあるのだろうか?

でも、エゴってなんだろう。

一人目の男の方がエゴが強いという印象だったけど、でも、本当にそうなんだろうか?

同じテーマの違った側面だとその巨人(ゼウス?)は言っていた。

一人目の男は自分の歓びを人と分かち合っているではないか?
もう一人の男は、謙虚に見えるが、自分の歓びを人に伝えていない。
それもある種のエゴではないんだろうか?

EGO=自我

ある意味、私達は自我を体験するために肉体を持っているのでしょう。
我が儘、というのは、我がままに在る、ということ。
つまり、自分自身でいる、ということなのです。

あの二人が一人になったとき、バランスが生まれるのではないか?
この物質世界の中では、すべての二面性を経験して
初めて私達はひとつの源に還ることができるのではないか?

光は闇によって光と認識され
闇は光によって闇と認識される

良い悪いということではない

すべてのもの
すべてのひと
すべての命の中に
美しさを見いだし
誉め称え
謙虚さを忘れず
それを分かち合い
我がまま=自分らしく在る

それが今朝の夢のメッセージであったのではないかと想います。
ゼウスは私のハイヤーセルフの象徴であったのかもしれません。
夢を与えてくれたゼウス(ハイヤーセルフ)に感謝します。
ありがとうございます☆