情けは人のためならず

『情けは人の為ならず』

 

父がしてくれた話です。こんな話をすると、自慢話か説教のように聞こえるかもしれんが、まあ、人生の経験として話そう、と…
父が或る日中合弁会社の社長を頼まれていた時の事。部下の一人の人が、こう言ったそうです。
社長は本物の経営者ですね、と。父は、私はプロの技術屋ではあるけれども、経営者としてはアマチュアだよ、と答え、でもなんでそう思うんだい?と尋ねたそうです。すると彼は、従業員がみんな自然に社長を尊敬するようになるんです。社長は自分でお気づきじゃないでしょう、と言いました。そしてこういうことだ、ということでした。
あるとき、仕事の帰り道、従業員の一人の若い女性がトラックにひかれ、ひどい重症を負い、父は即、上海で一番良い医者のいる外国人用の病院を手配し、入院させました。会社がその費用を持って。彼女が全快したとき、彼女の両親がとても感謝し、父を招待したいと言ってきました。
父は少し考えた末、逆に全快祝いとして、彼女とその両親を招待しました。彼らは喜んできてくれたのですが、その時に、父はこう言いました。
「ご両親もご安心なさったでしょう。でも娘さんが回復して一番嬉しいのは私でも、あなたがたでもありませんよ。誰だと思いますか?…それは、娘さんをひいてしまったトラックの運転手だと思いますよ」
そう言われて、その両親はもちろんとても驚いたそうです。そんなことはない、あいつは娘が悪かったとかそういうことを言っていたんだと…。「でもそれは彼に罪悪感があり、恐れていたからですよ、実はここにその運転手を呼んであるんです。会ってやってくれませんか?」と父は言い、彼を呼びました。彼は心から自分の非を認め謝ったそうです。
そして父はこう言いました。「これでお互いに気が楽になったでしょう。これが本当の全快祝いですよ」と。そういうことが、彼女の口から他の従業員へと伝わっていったそうです。
それから、彼は父の会社のトラックの運転手になったそうですが、その当時、運転手による品物の横流しなどがあって困っていたそうですが、彼は父に忠誠をつくしてれ、そういうこともなくなったそうです。
それから、その当時、中国の労働者のランチというのは、せいぜい、ご飯と白菜の炒め物くらいのものだったそうですが、父は一流のコックを雇い、8品くらい用意して、従業員たちと同じ場所で食べていたそうです。すると、すぐに社長の席というのを、別に作られてしまった。私はみんなといっしょに食べたいのだが、と言うとそれが中国式の敬意の表し方だというので、一人ずつ、社長のテーブルに従業員を同席させることにしたそうです。
最初に父が呼んだのは、16歳の女工さんだったそうです。彼女はとても緊張していたので、父が中国語でジョークを言ったらゲラゲラ笑い出したそうです。冗談がおかしかったのではなく、父の発音がおかしかったから。父はそれをわかっていたので、それじゃあ、君が私に正しい発音を教えてくれるかね?と言って、彼女に教えてもらった。彼女は自分が社長に何か教えられた、というのでとても嬉しかったらしく、その話も伝わって、だんだん積極的に父とランチを一緒にしたいという従業員が増え、一人づつが二人になり、三人になり、そして結局、みんなでいっしょに食べるようになったそうです。
そして父は、私は偉いわけでもなんでもない、ただ君たちより歳を取っているから、経験がある、というにすぎない、君たちだって、私なんかを超える大きな可能性をもってるんだよ、ということを、普段接することがない若い従業員たちとランチをいっしょにしながら、たびたび話したそうです。
そういうことをしているから、従業員から尊敬されるんですよ、だから、社長は経営者として本物だというんです、とその部下の人が言ったので、父はこう答えたそうです。

「そりゃ、勘違いしないで欲しいな。経営者というのは、あくまで、どれだけ利益をあげることができるか、ということを追求しているのであって、私はそういったことを経営者としてやっているわけじゃないよ。それは一人の人間としてやっていることなんだ。」と。それは父が若い頃、人として平等に扱ってもらえず、とてもつらい思いをしたから、自分が平等に扱ってもらいたい、と思ったことをしているだけなんだ、と。しかし、こういうことは言えると思う、と父は言いました。
結局、人としての信頼と尊敬というものを従業員が感じてくれれば、経営が楽になる。今の目標はこれこれなんだが、どうやったらできるか、みんなで考えてほしい、と言うだけですべてが動き出す。普通は半年かかると言われていたことが、2週間で動き出したそうです。そういうことが起きる。その時、父のプロジェクトは上海の奇跡と言われたそうです。だから結局は、『情けは人の為ならず』ということなんだ、と言っていました。

 

『情けは人の為ならず』後日談

 
父が日中合弁の会社を任されたのは、日本の本社が赤字で倒産寸前で、その建て直しのためでした。 父は、それまでの経営方針とは全く違った方向で、赤字を1年で、ものすごい額の黒字にして見事に会社を立て直したのですが、お金が入ってくると、人は変わるのでしょうか。
本社の中に、父をねたむ人が現れ、頭の固い経営陣は、父のやり方に難色を示し、中国側も父を目の上のたんこぶとして見始めました。
父は黒字になったのだから、それに見合う給料を全員に支払うべきだとし、従業員全員の給料を上げ、労働者保険を与え、人材向上のため、図書館を設置し、前にも書きましたように、従業員が社長と同じものを食べれるような食堂を作ったわけです。
労働者を搾取していた中国側は、そんなことをされては、他の工場との差がでて困る、とし、日本の経営陣も父の経営方針は論外だとし、日中双方で「鈴木は会社を乗っ取ろうとしている」との怪文書が飛び交い、父を解雇することを決定しました。
そのとき、一番悲しんだのは、従業員たちでした。
従業員全員が、少しずつお金を出し、その当時、最高級のローレックスの腕時計を父に贈りました。会社がやったのではなく、従業員自らそうしてくれ たのです。そして、交通事故にあった女工さんからは、新しい人生の船出が「順風満帆」であるようにと、帆船の模型をいただいたそうです。今でも父の書斎に 大切に飾ってあります。
そして、2700人の従業員全員が工場の前に整列し、父を見送ってくれたそうです。
その後、その会社がどういう運命をたどったか…
多分、ご想像つくのではないでしょうか。
父が辞めて、たった1年半で倒産したそうです。
人々の信頼というものが、いかに大きな力となりうるか、
大切にされたという感謝がどんなに人を向上させるのか、
利益だけを追求する当時の会社経営陣の方々には見えなかったのでしょうね。
私はあまり経済のことはよくわかりませんが、
日本の企業も海外で安い労働力を使っていると思います。
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円ショップのようなものがどのようになりたっているのかよくわかりませんが、そういうものが成り立つような労働環境にいる人々がいる、ということなのではないでしょうか…
海外の安い労働力を利用している企業が、自分たちの利益だけでなく、現地で働く人々にも配慮した経営をなさってくださることを祈ります。
エドガー・ケイシーは、お金は天に属するもので、それぞれの働きに応じて分配されるものだ、今のお金には癒しが必要だと言ったそうです。
お金という幻想で動いている社会である以上、
お金というエネルギーが健康的な形でまわりますように。
けれど、本当に豊かな社会とはどういうものなのか…
幻想の向こうに答えがあるような気がしてなりません。

 

 

『空の青さ』

 

また、父から聞いた話を忘れないうちに書き留めておこうかと思います。
父が仕事でシンガポールへ行った時の話しです。
ホテルに戻ると、取引先の会社からプレゼントがありました。
それはなんと、一人の少女の娼婦でした。
父は驚き、取引き先に怒りを覚えたそうですが、とにかく、その少女になんでそんなことをしているのか尋ねたそうです。
すると、彼女は、家が貧しく、幼い妹、弟を養っていかなければならないのだということでした。
父は彼女に、自分の夢はないの?と聞きました。
彼女は、できれば美容師になりたいと言ったそうです。
それならば、一生懸命勉強しなさい、そしてこんなことはもうやめなさい、と言い、これから毎月、このホテルに君宛の小切手を送るから、それで学校に行くように、と言って帰したそうです。
彼女は私の父から毎月小切手を受け取り、美容師になる学校へ通ったそうです。
父は彼女に自分の連絡先を知らせなかったので、彼女はホテルのマネージャーに、いつかまた、ミスタースズキから予約が入ったら、知らせてほしい、と言ってありました。
そして、2年くらい後だったか、父が再びそのホテルへ行くと、彼女はリムジンを借りて父を迎えに来たそうです。
そして、小さなお店ではありましたが、彼女が勤めるお店に案内してくれたそうです。
彼女は父にこう言ったそうです。
「私はいつもうつむいて生きてきました。
 だから、空がこんなに青いって気づかなかった。
 青い空を見上げて生きていけるようになりました。」と…。
彼女が知った空の青さはどんなものだったのでしょうか。
自分に誇りを持って生きること。
それが大切なんだ、と父は言いました。
父は、貧民窟のようなところにすら住めなくて、一人、落ちていたキャベツのしんをかじりながら、一念発起し、自立しました。
その父を支えたのは、自分への誇りだったと言います。
胸を張り、青い空を見上げて生きる。
青い空の果てにあるものは、夢。
私たち、すべてのものに青い空は与えられているのです。